2020.06.05源庫

根拠は自分 ~自由と活力のある生き方~

「これ正しいんだよ。テレビで言ってた」
「あれ絶対面白いよ。すごく流行ってるから」
「それ、絶対やった方がいいよ。みんなやってるじゃん」

テレビや新聞で言っていたからって、正しいとは限らない。
メディアが伝える情報は、専門家や様々な人の意見の寄せ集め。何であれ、借りものだ。メディアは「〇〇がそう言っている」「〇〇によればそうらしい」をかき集め、もっともらしさや娯楽性を織り交ぜながら構成し、伝えるのが仕事。そこから出てくるものは、程度の差はあれど、すべて演出。演出ゼロの報道や番組はあり得ない。そこに“真実味”はあっても“真実”はない。

そして、専門家や、国や役所といった様々な機関が言うことも、あなたにとって正しいとも役に立つとも限らない。誰か、あるいはどこかが、分析し、意味づけ、呼びかける背景には、常に発信者自身の、物の見方や感じ方、意図や思惑がある。というより、むしろ発信者の思考や感情や意図を、情報という形で伝えてきていると言った方が正しい。誰も、あなたのことを知らないし、あなたの考えや気分、価値観を考慮して、あなたの人生にプラスになるように、何かを教えてくれるわけでも、勧めてくれるわけでもない。
これは、家族や友人、パートナーでも本質的には同様だ。誰一人、あなたではないのだ。

そういうわけで、そもそもあなた自身のものではない情報やアドバイスに従って生きようとすれば、そこには様々な齟齬やズレ、不具合が生まれてくる。必ずしも、あなたの人生は豊かにならないし、健康にもならないし、活性化もされない。それどころか、いつの間にか、日常は義務や我慢で覆われて、窮屈でつまらないものになる。常に無数の意見が入って来て混ざり合うので、本来はシンプルな人生が、無駄に複雑で難しいものになっていく。
あなたの中で、“やりたい”が減っていく一方、“やらねば”がどんどん増えていく。かくして人生はカオスになり、重荷になる。

では、何を拠り所に生きるのか? それは、自分自身だ。

「自分自身? そんないい加減なものを頼りにしていいのか?」

いい加減なものではない。人間一人一人の直感や感情は、実は最も信頼できるセンサーだ。それに裏打ちされた自分自身こそが、本来、一番確かなものなのだ。
だが、我々は、この“自分自身”をすっかり見失っている。社会や組織のルールや常識、人の目や周囲の雰囲気を常に気にかけ、怯え、互いに監視し縛り合ううちに、誰もが本来、生まれながらに持つ、健やかなセンサーや思慮深さ、豊かな心やガッツがすっかり衰退させられてしまっている。

しかし、“本来の自分自身”は、決して死んではいない。自分の中を見つめてみよう。
繊細な心の動きや、身体の感覚、深くから湧いてくる直感に、耳をすましていると、だんだん自分にとって本当に大切なことが浮かび上がってくる。そこには問答無用に確かな手応えがある。エネルギーがある。
勇気を出して、それを信頼すればするほど、錆びついていた直感は冴えを取り戻す。そして、世間や他人が何を言おうが、少しも揺らがぬほどに、常に確かな頼もしいガイドとなってくれる。

「でも、みんなが自分自身を拠り所にし始めたら、社会がおかしくなるんじゃないか?」

ならない。直感や感情がのびのびと解放され、健やかに機能し始めると、人は人とつながりたくなる。仲良くしたくなる。調和したくなるのだ。なぜなら、それが一番自然で安心で心地よくいられるから。そこでは人目を恐れたり義務感に縛られてではなく、自然な共感や思いやりから、助け合いが生まれる。そして誰もが、互いの生き方に介入したり、強制したりなどしない。

考えや行動の根拠を外に求める限り、頭も心も弱くなる。不安や不満が募り、人生が揺らぎ続けるのは避けられない。
生きる根拠は自分自身。
その時、授かった命は、存分に生き生きと花開く。