2020.05.27源庫

共存こそ鍵 ~悪者をつくらない~

どんなものにも役割がある。
世界は光と影。無数の存在が、みんな微妙に違った色彩で同時にあるから、世界という絵画が成り立っている。
そして、ある時点、ある立場で“悪者”とされたものが、実はそうでなかったり、思わぬ役割を果たしていたということはたくさんある。

盲腸炎(虫垂炎)という病気があるが、昔は、盲腸(虫垂)はほとんど無用の組織だとして、炎症を起こし痛くなると手術して切除するのが当たり前。別の手術で開腹したついでに虫垂炎の予防として取ってしまうことすらあったという。しかし今では、虫垂が、腸内細菌のバランスをとるなど重要な働きを持つことが知られている。
また、農業の現場では、病害虫は作物の敵として、薬を撒くなどして駆除するのが普通だが、有機農法をしている人の中には、病害虫は健康で強い野菜は食べず、弱くて比較的健康でない野菜を食べて分解し、自然に還してくれている大切な存在だと見る人もいる。

敵だから、不要だから、と遠ざけたりやっつけたりしていては、決して見えない役割が、すべての存在にある。“悪”だ、“害”だと決めつけ、攻撃や排除することで、我々は恵みを取りこぼし、多くの場合、かえって問題を大きくしたり、新たな問題を招いたりしてはいないか?
“悪者”をつくり、成敗しようとすることで、生に無数の混乱と悲喜劇を生み出してはいないか?

人間関係でも、相手を悪者として非難してみたら、問題は解決するどころか、反撃されたり、さらなるトラブルを呼んだりして、苦い思いをしたことが、誰でもあるだろう。また、時間が経ってから、相手の真意や切実な状況が理解できたり、敵だと思った存在のおかげで自分がいろいろな気づきや、人生の大切な転機を得たと振り返ることも少なくないはずだ。

心の中にも、悪者とされがちな感情がある。怒り、悲しみ、悔しさ、惨めさ……。
それら、いわゆる“ネガティブ”な感情が現れると、何とかそれを心の中から締め出そう、消そう、打ち勝とうとする。しかし、どんなに抑圧し、気づかないふりをし、気分転換しようが、それは消えない。心の奥深くに逃げ込んで、漠然とした落ち着かなさと共に潜み続け、きっかけがあるとたちまち表面に現れて暴れだす。
怒りや悲しみと言ったネガティブな感情が現れたら、何もせずにそれをじっと感じてみる。しばらくは痛みもあるが、静かに見つめていれば、自然なペースで消化される。それを焦って追い出そうとするのは、静かに通り過ぎようとしている蛇を叩くようなもの。たちまち暴れ回って、咬みつかれ、かえって傷を深くする。気に入らない感情と闘わず、共存し、見守っていると、その感情は本来の寿命を全うし、必ず去っていく(その寿命は大抵、思っているほど長くない)。そして、生きる知恵、やさしさ、自分への信頼など、素敵な置き土産を残していってくれる。

どんなものにも、役割があり、自然な寿命・サイクルがある。どんなに気に入らないものでも、いじらず放っておけば、こちらにはそれが何かはわからなくても、そのもの自体の役割を果たし、静かに去っていく。そして、後から、それがどんな意味を持っていたのかわかったりする。
こちらの思い通りにしようとして攻撃すると、形はいろいろあろうが思わぬ反撃を受けて、双方ともに傷つくものだ。

今、世界中が新型コロナウイルスで大変な状況だが、古来、人間は、様々な菌やウイルスと共存する中で、免疫力を高め、強く豊かに乗り越えてきた。一方で、「無菌、除菌」の意識が行き過ぎて、現代人の抵抗力が弱まったり、過敏で虚弱になったりしているとはよく言われることだ。今回のコロナウイルスでも、当初から、集団免疫の効果を提唱する意見は常にあったし、過剰に外出や様々な人や物との接触を避ければ、それ以外の菌やウイルスへの抵抗力も弱まり、かえって危険と指摘する医師達もいる。

“危険”、“悪い”と決めつけ、身を固くし、排除や攻撃一辺倒になれば、そこで失ってしまうものは、きっとある。悪者をつくれば、相手ばかりか自分自身も窮屈で苦しくなっていく。
時には“用心”や“警戒”以上に、いい意味での“鈍さ”や“のんきさ”が、人を健やかにし、本当に守ってくれるものだ。
自分にとっての“悪”を退治することに汲々とするのでなく、いろんな存在と仲良く共存する中で、人も世界も、強く豊かになっていく。
そんなことを感じる今日この頃だ。