2019.06.23源庫

託された宝物

みんな生まれてくる前に、神様から、その人だけの宝物を託されます。
「この宝物はおまえだけの特別なもの。世界中でおまえだけしかもっていない、どこにもない宝物だ。おぎゃあと生まれたら、一生の間に、それを世界に配っておいで。それで世界中のみんながとっても幸せになるから。ちゃんとここへ帰ってくる前に、全部配ってくるんだよ」



ある人は優しさを、ある人は賢さを、ある人は言葉の力を、ある人はのびのびとした気楽さを、ある人は燃える闘志を、ある人は手先の器用さを、ある人は底抜けの明るさを、ある人はユーモアを、ある人は心をほぐす愛嬌を……。
一人一人、みんな違う。その人にしかない宝物を託されて、おぎゃあと生まれてくる。

人は、自分を知られたいと思う。
人は、自分の力を発揮したいと思う。
人は、人の役に立ちたいと思う。
人は、人を喜ばせたいと思う。

そのために、好きなこと、やりたいことを存分にやって、自分を表現したいと思う。
好きなことをすると喜びを感じるのは、そうすることで、宝物を世界に配る務めを果たすため。大切なことだから、自然に好きなことをやりたくなるように心ができている。

でも、自信がなかったり、人からどう思われるか気にしたりして、本当の気持ちを表現したり、本当に言いたいことを言ったり、本当にやりたいことをやったりするのをためらってしまう。

好きなことをしたら自分勝手な奴だと思われるんじゃないか?
ウザいやつだと思われるんじゃないか?
誰も認めてくれないんじゃないか?

そんな風に思っていると、いつしか自分も、他の人が自由にやりたいようにやっているのを見ると、批判したり、腹を立てたり、馬鹿にしたりするようになっていく。



その上、親から、先生から、友達から、社会から、あれをしなさいこれをしなさい、あれはしちゃだめこれはしちゃだめ、とずーっと言われ続けて、何をすればいいのか、何をするかは自分で決めちゃいけない、みんなに許してもらわなきゃいけない、とすら思い始める。
こんなのは、本当はとてもおかしい話。だって、神様から宝物をもらったのは自分なんだから。ほかの人には決してわからない。自分だけにしかわからない。

そしてだんだん、みんな、せっかく神様からもらった自分だけの宝物を、つまらないもの、大したことのないもの、恥ずかしいもの、よくないものと感じ始めて、それどころか、そもそもそんな宝物のことなんて忘れてしまう。とっても素敵なものを自分がたくさん持っていることを忘れてしまう。

そんなことをしているうちに、いつの間にか月日は流れ、すっかり年を取り……。
ご臨終です。
「ただいま、帰りました。神様」
見ると、生まれる時に託された宝物は、ほとんど人にあげることも恵むこともないままに、ほこりをかぶっている。
「馬鹿野郎! もう一回やり直し」
で、また生まれる。おぎゃあ!

何百回、何千回、同じことを繰り返したんだろう。
もう、やりたいことやろうよ。
好きなように生きるのを自分に許そうよ。
それは、自分勝手なんかじゃない。天から託された宝物なんだから。